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メコンの流れのように

多様な価値観、1つの世界

努力と幸せは比例しない。

「あなたは何のために頑張っていますか?」

と聞かれたらなんと答えますか?

会社のため?

家族のため?

将来のため?

お金のため?

幸せになるため?

先日、何気にツイッターを見ていたらこんなツイートが目に入りました。↓ https://twitter.com/ORENO_URIMARU/status/752111869612027909

僕は今この筆者の出身国ベトナムの隣のラオスという国にいます。

たぶんラオスはベトナムよりも更に楽観的な暮らしをしている国なんじゃないかなと思います。

日中に道を歩けばトゥクトゥク(タクシー)のおっちゃんはハンモックで昼寝をしているし、バスは時間通りに来ないし、お昼から酒を飲むし、夕方になれば早々に仕事を切り上げてメコン川沿い散歩をしたり、ビールを飲みながらペタンク(カーリングみたいな遊び)をしているし…

ラオス来てから何度も「この国はなんてゆるいんだ…」と思いました。

それはもう、「もっと頑張ればいいのになぁ」と言いたくなってしまうくらいです。

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しかし、彼らの穏やかで楽しそうな顔を見ると、

もしかしたら、これでいいのかもしれない…。

そんなに頑張らなくてもいいのかもしれない…。

そんなに頑張らなくて幸せになれちゃうのかもしれない…。

そうな風に思うようになりました。

しかし、そんな風に思う僕もラオスに来る前までは

「頑張らなければ幸せにはなれない。幸せになるためには努力しなきゃいけない。」

と考えていました。

日本で暮らしているときはずっと親や教師、テレビから『頑張れば必ず良いことがある。幸せになれる』と言い聞かせられてきました。

そして、そのことを何一つ疑わずに生きてきました。

しかし、その考え方はどうやら少し間違っていたみたいです。

世界の真実は、

『頑張ったからといって幸せにはなれないし、幸せな人が頑張っているとは限らない。』

でした。

確かに、

何かを成すため、成功のためには、頑張りは必要でしょう。

しかし、成功=幸せではありません。

日本人の多くはそのことを勘違いしているのかもしれません。

頑張れば頑張るほど幸せになれるという比例関係ではなく、

頑張る事と幸せとはまったく違う軸上にあるのです。

日本人が頑張って頑張っても幸せになれないのは、その関係を知らないからなのかもしれません。

多くの日本人は「幸せになりたい」と言います。

しかし、そもそも「幸せ」はなろうとして『なるもの』つまり「結果」ではなく、今そこに『あるもの』です。

言い換えれば、「幸せ」=「人生」なのだと思います。

つまりは、今、生きていることそのものが幸せなのです。

だから、普段過ごしている中にも、頑張っている最中にも、何かに成功した瞬間にも、貧しい中にも、苦しい中にも、たとえ戦争の中でさえ幸せはあります。

ラオスやベトナムが幸せに見えて、物質的に豊かな日本が幸せにみえないのは、

日本人が今の幸せ(人生)よりも、将来の幸せ(人生)ばかり見て、頑張りすぎているからなのかもしれません。

幸せは頑張っても頑張らなくても、今、ここにあります。

だからこそ、最後にもう一度考えてみましょう。

「あなたは何のために、頑張っていますか?」

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自立して生きていくためにすべきこととは

サバイディーສະບາຍດີ!

ラオスのジーコです!

先週でラオスでの語学研修が終わり、今週から遂に派遣地での活動(仕事)が始まりました。

僕の仕事はラオス国立大学の教育学部で『エコヘルス教育(環境・健康教育)』の教材開発及び普及活動となっています。

しかしながら、今週から活動始まったからといって、ラオス語もそれほどできない人間がいきなり活動らしい活動をできるわけもなく、ここ数日間は職場の人と一緒にご飯を食べて、おしゃべりをして、ラオス語のシャワーを浴びるだけで一日が終わっていきます。

たぶん他の多くの協力隊員も最初は同じような状況だと思います。

毎日、職場に行ってみるものの現地語も大してできなくて、大した仕事もなく、そして、誰かの助けなしに何もすることもできない。

時にはそんな無力な自分に嫌気がさすときもあるかもしれません。

そしてまた、早く自立して生きていけるようになりたいと思うかもしれません。

しかしながら、脳性まひの障がいを持ちながら小児科医である熊谷晋一郎さんは『自立』に関してこう言います。

自立とは、依存先を増やすことだ。

自立とは「依存先を増やすこと」|全国大学生活協同組合連合会(全国大学生協連)

一見、矛盾したように感じられるこの言葉ですが、

途上国で暮らし始めてこの意味がよくわかるようになりました。

僕らは今、よく知らない土地で、言葉も上手く話せなくて、現地の人の言っていることも理解できなくて、何をするにも誰かに手伝ってもらって、不自由極まりない生活を送っています。

この不自由な生活は、言ってしまえば、障がい者の方の暮らしと似ているんじゃないかとも思います。

だからこそ、「自立とは、依存先を増やすことだ。」という意味がよく理解できたのだと思います。

自立とは、どこに行っても依存先があって、誰でも助けてくれて、自由に動き回れる状態。

つまりは「何にも依存していない」と感じれる状態ということです。

僕は学生の頃、

自立とは、自分で仕事に就いて、親に依存しないで生きていくことが自立することだと考えていました。

しかし、それはただ依存先が変わっただけであって、自立しているとは言えないわけです。

会社の倒産やリストラにあって、自殺を考えてしまうのは、依存先がその会社にしかなかったことによるからではないでしょうか?

こっちがだめでも、あっちがある。そんな風に色々な依存先があれば、そんな最悪の事態にはならないはずです。

依存することは決して悪いことではありません。それどころか、我々はお互いに依存しあうことでしか生きることはできません。問題なのは依存先が少ないことです。

あの人しか頼れない。この会社だけが…。となってしまっては不自由でしょう。

だからこそ、我々協力隊員が途上国で自立して生きていくために最初にすべきことは、いろんな人と話をし、いろんなところに顔を出し、いつでも助けてくれる依存先を多く作っておくことだと思います。

これは、もちろん日本での暮らしでも言えることです。

なるべく依存先を増やしておくことで、色々な場面であなたを助けてくれる人が現れるでしょう。

P.S.

日本はとても暑いみたいですね。

ラオスは今雨季で、最近は毎朝雨の音で起こされます。

最近の楽しみは毎日徐々に水位が上がっていくメコン川を観ることです(笑)

 

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ラオスのお坊さんから学ぶストレスマネジメント

サバイディー!

ラオスのジーコです。

職場に派遣されて早一カ月が経とうとしています。

僕は毎日、職場までバスで通っているのですが、そのバス通勤が自分の中で結構ストレスなのです。

何がストレスかというと、、、バスがいつ来るわからないことです。

ちなみにビエンチャン市内のバスはハイテクなことにバスにGPSがついていて、今バスがどこを走っているかわかるアプリがあります(jicaの協力で作ったらしい)。

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しかしながら、最初のバスステーションからバスが出発したのが分かってから家を出ても、今住んでいるドミトリーから最寄りのバス停までは歩いて10分ほどかかり、その間に通り過ぎてしまうのです。

つまり、結局はバスがいつ来るかわからないけどドミトリーを出ておかなければならないのです。

運が良いときは5分も待たずにバスが来ますが、運が悪いときは1時間近く待つときもあります。

バス自体に乗っている時間は片道で30~40分なのですが、待ち時間を合わせると平均で毎日往復通勤に2時間近く使っているように思います。

そのため毎朝『今日はバスをどれだけ待つことになるだろうか?』というストレスを抱えていました。

今日の朝もそんなことを頭の片隅で思いつつバス停のイスに座ってバスを待っていました。

すると、1人の若いお坊さんは僕の前に止まって「どこに行くんだい?」と話しかけてきました。

僕が「ドンドークの大学に」と答えると

「私もドンドークに行くから一緒にバスに乗ろう」と言い、

僕は若いお坊さんと一緒にバスを待つことになりました。

それから、僕と彼は世間話をし、気が付くと10分ほどが経っていた。

僕は何気に「まだ、バス来ないねー」と言った。

すると、彼からは「もうすぐ来るさ」と返ってきた。

僕は『もうすぐ来るかなぁ…』と思いながら、また世間話を続けた。

そしてまた10分ほどが経ち、僕はもう一度言いました。

「まだ、バス来ないねー」

すると、お坊さんはさっきと同じく

「もうすぐ来るさ」と言いました。

しかしながら、やはりその後もバスが来る気配はなく、結局バス来たのはそれから20分後だった。

僕は『はぁ…。やっと来たかぁ…。今日は遅かったなぁ。』と思いながら、座席に腰をかけました。

しかし、彼の方は全く疲れていない様子です。

確かに、彼(ラオス人)にとってバスに待たされるのはいつものことだから慣れっこだと言ってしまえばそうなのですが、彼はどんな気持ちでいつもバスを待っているのだろうか?

僕と彼との違いは何なのか?を考えてみると、

僕の「まだ、バスが来ないねー」という発言と

彼の「もうすぐ来るさ」という返答の中に

僕と彼との考えの違いがあるということがわかりました。

「まだ、バスが来ない」という考えは、『今頃はバスに乗っているはずなのに未だ来ていない』という

未来から現在への後ろ向きの考え方であり、

「もうすぐ来るさ」という考え方は、『今はバス来ていないがこれから来る』という

現在から未来への前向きの考え方なのです。

僕と彼が置かれている状況は全く同じだったにも関わらず、

僕の方はありもしない良い未来を見ていたばかりに、今を悪く見てしまっていたようです。

それによってストレスを抱えてしまったということです。

そもそも「ストレス」は、物事や人が自分の思い通りにならない時に感じます。

つまりは、ありもしない良い未来と『今』を比べてしまっている状態ですね。

しかし、自分の力でどうすることも出来ない事に対してストレスを感じてしまうのは、実にエネルギーが勿体ないことですよね。

そういえば、『指さし会話帳』にラオス語には「ストレス」に当たる単語はないと書かれていたように思います。

ラオス人は自分の力でどうすることも出来ない事に対して、イライラして無駄なエネルギーを使う事が勿体ないということを普段の暮らしの中で自然に理解しているのかもしれません。

それは今回の出来事と同じように、ラオス人が『今』をただただ純粋にみていて『未来』を信じているからなのだと思います。

今回の経験で僕らがラオス人から学ぶことはまだまだ沢山あると改めて感じました。

日々の経験に感謝します。

ຂອບໃຈຫລາຍໆເດີ

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『仕事は楽しいかね?』から協力隊の働き方を考えてみた

サバイディー!

どうも、ラオスのジーコです。

職場に派遣されて1か月ちょっとが経ちました。

今は少しずつ仕事場の環境に慣れてきましたが、

仕事が始まって数週間が経った頃、あまりに仕事がなさ過ぎて、

やっぱり協力隊なら誰しも考える時期があると思うんですが

「僕は何のためにこの職場にいるのか?」なんてことを思っていました。

しかし、そんな時にある本と出会い、考えを変えることが出来ました。

その本とは『仕事は楽しいかね?』という2001年に出版された、ちょっと昔の自己啓発系小説です。

あらすじ…

出張の帰りに大雪で閉鎖になった空港で、偶然出会った老人の「仕事は楽しいかね?」という問いかけに、動揺してしまった35歳の『私』。日々の仕事にゆきづまりを感じ、未来に期待感をもてない私に、老人は一晩だけの講義を開始した。老人の含蓄ある言葉に『私』はしだいに仕事観を揺さぶられていく。

この本に出てくる老人マックスは、一般常識で仕事上大切とされている「目標を立てること」を一貫して否定します。

なぜマックスは「目標を立てること」が良しとしないのか?

今回は『仕事は楽しいかね?』で出てきた老人マックスの言葉を紹介していきます。

彼の言葉は協力隊の活動にもとても通じるものが多いと思います。

『試してみることに失敗はない』

僕たちは、いつも何かを始めるときは、それが成功するか失敗するかで判断しがちです。

そして、すこしでも失敗の可能性のあることは諦めようとします。

しかし、いきなり100%成功するものがこの世にどれだけあるでしょうか?

失敗の失敗たる所以は、失敗を失敗のままにしておくことです。

試してみれば新しくわかることが必ずある。わかることがあったならそれをどうして失敗と呼べるでしょうか?

「どうせ人生なんて思いどおりにはならないからね」

そう。ラオスに来て、当たり前のことながら日本に居たとき以上に思い通りにならないことばかり。

これから毎日8時半に職場に行こうと思ったところで、バスはいつ来るかわからない。

目標を立てたところで、思い通りにいかなくて、逆にイライラが溜まるだけ。

そこにエネルギーを使うのは勿体ない。

「人生は進化だ。そして進化の素晴らしいところは、最終的にどこに行き着くか、まったくわからないところなんだ。」「きみは、最初に陸にあがった魚は長期にわたる目標を持っていたと思うかね?」

自分自身、高校生の時には今の自分がラオスにいるなんて想いもしていなかった。(ラオスってどこなのかも知らなかった。)

そして最近では、「協力隊終わったらどうするの?」と沢山の人に聞かれるけど、今の時点ではそれもわからない。

協力隊の経験が今後、自分の人生にどんな影響を与えてくれるかなんてわからないけど、この経験は必ず活きるということだけは確信している。

「成功する人たちはね、自分がどこへ向かっているかということはわかっていない。 ただ、遊び感覚でいろいろやって、成り行きを見守ろうと思っている。」

この言葉が自分の中で一番心に刺さった。

「せっかくラオスに来たのに何か物足りないな~」と思っていたけど、その正体が『遊び心』だったように思う。

面白くするも、つまらなくするも、自分自身。

つまらないなら自分から動かなきゃ!

「ある事柄が完璧だと決め込んでしまったら、その事柄はそれ以上よくならず、ライバルに追い抜かれるのをただ待つだけだ。その結果言えるのは“完璧さとは、ダメになる過程の第一段階”ってことだ」

時代は常に変化している。

時代が変化しているのに、変わろうとしなければ、その時BESTだったもの、すぐにWORSEになってしまう。

常にBETTERを目指すことで、やっとBESTであり続けられる。

「人は、変化は大嫌いだが、試してみることは大好きなんだ。」

今の状態が悪いとわかっていても、変わることは難しい。

しかし、みんなお試しセットやお試し価格には飛びつく。

協力隊の活動も似ている。

変えようと思うと難しいけど、試してみようと思うと案外簡単にできちゃったりする。

そして、変化は必ず試すところから始まる。

僕はこの本を読んでから、『1日1試し』をスローガンに毎日を過ごしている。

今まで行ったことのない食堂に行っているでも、バスの隣の人に話しかけてみるでも、何でもいい。

ただ目の前にあるチャンスを逃さないように、「今日は何を試そうか?」と思うだけで毎日ワクワクするようになった。

もし今、仕事に、活動に悩んでいることがあれば、失敗することなんて考えないで、とりあえず「何かを試して」みてはどうでしょうか。

両さんから学ぶ「逃げる」ことの大切さ

突然ですが、日本の自殺率をご存知でしょうか?

世界保健機関(WHO)によると2012年の日本の自殺率(人口10万人あたりの自殺者数(年齢調整値))は18.475人で172カ国で18位、かなり上位にいます。ちなみにラオスは8.770人で、85位です。

そんな自殺大国日本ですが、実は時系列でみていくと2003年をピークに日本の国民全体の自殺率は低下しているんです。

しかし、年齢層別にみると、これとは反対に15歳~24歳の若者の年齢層は上昇を続けています。

近年、いじめが原因で中高生が自殺するというニュースをよく目にすると思っていましたが、それは気のせいではなかったのですね…。

zisathusya

(出典:「絶望の国 日本は世界一「若者自殺者」を量産している」http://president.jp/articles/-/17058

そんな現状がある中、先日こんなツイートを見ました。↓

日本の人は「逃げる」のがことのほか下手だのい。もしかしたら逃げないのがカッコイイと思っているのかも知れない、と思う事がある。 取りあえず逃げてから考える、というのがチョーへたっぽい。 https://t.co/7iwZzLNJRL

— James F. (@gamayauber01) 2016年9月17日

ラオス語で『残業』は「残った業務」ではなく、「時間を無視して働く」だよ

サバイディー

どうも、ラオスのジーコです。

最近日本では、電通の新入社員の過労自殺がニュースで取り上げられているようですね。

(電通の女性新社員自殺、労災と認定 残業月105時間 10月9日現在)

本当に残念なニュースです。彼女のご冥福をお祈りいたします。

今回は、このニュースからラオスと日本の働き方について考えたことを書いていきたいと思います。

そもそも「残業」とは一体何だ??

ラオスで働いていると、まず、ラオス人で過労死する人はいないんじゃないかなと思います。

僕の職場の大学では、先生たちは8時頃から段々と先生たちが職場に来て、そして、16時頃になると帰っていきます。17時頃になるとほとんど誰もいなくなります。

僕はラオスには「残業」という単語すらないのではないかと思い、調べてみました。

すると、確かに「残業」という単語はありました。

ラオス語では、「ເຮັດວຽກລ່ວງເວລາ」と書くらしいです。

これを日本語に直訳すると『時間を無視して働く』という意味になります。

日本語では『残った業務』と書いて「残業」です。

ラオスと日本では、単語の作りからして全く違った意味を持っているんですね。

どちらが、「残業」の意味を正しく表現しているのでしょうね??

当たり前の正体って何だ??

例のニュースの記事で「残業100時間なんて当たり前」というようなコメントも見ました。

その人から見たら、ラオスにほとんど残業がないことが異常なんでしょうが、

ラオス人から見たら、日本の残業が当たり前という状況が異常です。

当たり前なんてものは、実はとても適当なもので、

異常なものも多数派になれば、当たり前になります。

つまり、当たり前=正しいというわけではないのです。

それなのに、日本では「みんながそうしているのだから、あなたもそうしなさい」という考えが充満している。

そして多くの人が、「当たり前」の犠牲になっている。

残業が当たり前?

学校に行くのが当たり前?

トイレがきれいなのが当たり前?

バスが時間通りに来るのが当たり前?

僕はラオスに来て、何度も日本の当たり前なんて全く通用しないという経験をしてきました。

そして「全ての当たり前は、僕たちが勝手に当たり前だと思い込んでいるものに過ぎない」ということが分かりました。

普段の日本の生活の中では、「当たり前とは何か?」を考える機会は少ないと思います。

ですので、この記事を読んだことを機に、今一度、日本の当たり前と自分の中の当たり前を疑ってみませんか?

ニッポンが『先進国ラオス』から学ぶべきこと

サバイディーສະບາຍດີ

どうも、ラオスのジーコです。

ラオスに来て早いもので4カ月が経ちました。

そして、段々ラオスという国が見えてきたように思います。

最近、ラオスの協力隊同士でよく「ラオスって先進国じゃね!?」って話になります。

『え?ラオスは途上国じゃん!?』と思った方、そうです。

確かに、ラオスは途上国です。

しかし、ぼくらの目にはラオスが先進国に映るのです。

なぜ、ラオスが先進国なのか?

ぼくが特にラオスって先進国だなーと思う3つを紹介します。

①残業ナシが当たり前

過去の記事で『ラオス語で『残業』は「残った業務」ではなく、「時間を無視して働く」だよ』でも書きましたが、ラオスでは残業ナシが当たり前です。

僕が17時まで職場に残っていると「まだ帰らないのか?」と上司に言われます。

ちなみに金曜日は「『スモールサタデー(小さな土曜日)』だぜ!」と言って、いつもより更に早く仕事を切り上げて帰っていきます。

最近、ドイツの残業ナシの働き方が注目されていますが、ラオスではそんなことはずっと前から当たり前のことです。

②休日は家族でキャンプ

もちろん、休日出勤もラオスではほとんどありません。

この前、同僚のラオス人に「休日は何をして過ごしてるの?」と聞いてみたら、

ゆ~らら~(日本語でのんびり)してるか、近くの滝(川)に家族や友達と行ってBBQをしているそうです。

ぼくも実際にホームステイをしているときに一度BBQに参加したことがありますが、日本のBBQとは少し違うラオス式BBQでした。

BBQと言っても焼き肉とかではなく、パパイヤサラダやピンパー(焼き魚)やカオニャオなどいつも通りのラオ料理を川で食べるだけです(笑)

そして、お腹がいっぱいになったら川で水遊びをして、家族や友達との時間を過ごします。

③子育てに困らない社会の支え

ラオスに来てから、職場に子どもを連れてきている風景をよく見ます。(特に学校が雨季休みの時期に)

そして、職場の同僚たちもその子を自分の子のように可愛がっているんですよね。

また、ラオスの家族形態は大家族が一般的です。加えて、親戚との繋がりも強く、日中は1つの家に女性たちが集まって、おしゃべりをしながら子供たちの面倒を見ています。

そうやって、ラオスではみんなで支えあって子どもを育ているように見えます。

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まとめ

このように、ラオスでは、現在日本で問題になっているような残業や子育ての問題は解決されています。

…というよりも未だに問題化していない状態です。

残業が無くて、大家族でみんなで支えあって子どもを育てる社会。それは、たぶん昔の日本の生活と似ているのだと思います。

世界の流れや流行は、スパイラル(螺旋)をしながら繰り返されると言われています。

https://www.youtube.com/watch?v=hUDcNlb3ycg

例えるなら陸上のトラックの上を走っているようなものです。

日本は1番になろうと一生懸命世界の最前線を走っていたつもりが、一周遅れしてラオスが日本の前を走っているような感じです。

ゴールのないトラックの上を走ったところで順位は決まりませんよね。

つまり、日本が進んでいて、ラオスが遅れているということはないのです。

だから、今こそ「日本は先進国で、ラオスは途上国」という考えを捨てて、ラオスやその他の途上国と言われている国から学ぶ姿勢が大切だと思います。