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ラオスの仏教僧の備忘録(出家7~8日目:ラオスの仏教を支える正体に関する考察)

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サバイディーສະບາຍດີ

どうも、ラオスの仏教僧ジーコです。

 

出家生活を始めて1週間が経ちました。

 

この生活にもだいぶ慣れてきました。

これまでは事前に知識を入れ過ぎずにお坊さんたちの生活を観察することに重きを置いていたのですが、これからの残りの生活ではラオスの仏教の知識・理解を深めることに重きを置いていきたいと思います。

 

ということで、こんな本を読み始めました↓

 

静と動の仏教 (新アジア仏教史04スリランカ・東南アジア)

静と動の仏教 (新アジア仏教史04スリランカ・東南アジア)

  • 作者: 奈良康明下田正弘【編集委員】,林行夫【編集協力】
  • 出版社/メーカー: 佼成出版社
  • 発売日: 2011/01/27
  • メディア: 大型本
  • この商品を含むブログを見る
 

 

出家をする2日まえにカフェに行ったら丁度この本を見つけて貸していただきました。

 

この本によると、

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ラオスの2006年の約人口580万人に対して、お坊さん(僧侶と見習い僧を合わせて)の数20,192人でラオスの全人口にして0.03%の人がお坊さんです。

 

他の国と比べるとラオスのお坊さんは少ないように見えます。

それもそのはず、実際ラオスは多民族国家で49の民族がいると言われています。

基本的に仏教を信じているのは人口の6割を占めるラオ族です。例外もあり

そして、そのラオ族がラオスの国土約2割しかない平野部に集住しています。

そのため、旅行などでラオスに来るととても寺院が多く感じますが、山間部に行くとほとんど見られません。

山間部の民族にはそれぞれその民族独自の精霊信仰があるからです。

 

ラオスは仏教国という風に思われがちですが、実はとても多様な信仰があり、ラオス国家も信仰の自由を謳っています。

 

ということで、ぼくがここで語る『ラオス』は仏教信仰を中心としたラオ族におけるラオス社会を指していることが多々あるかと思います。その点を考慮して読んでいただければと思います。

 

また、今後、新しい情報や知識を得ることで、これから書く考察が変化していく可能性は大です。しかし、1週間経った現時点における『ラオスの仏教』について書きたいと思います。

 

 

ラオスの仏教を支える正体に関する考察

 

まず最初に質問です。そして、正体の答えに繋がる質問です。

ラオスでお坊さんになる人はどんな人だと思いますか?

 

そんなの『仏教を熱心に信じている人』に決まっているじゃん!

 

と思った方、

残念ながら仏教を熱心に信じて自発的にお坊さんになる人は本当にごくごく少数です。

 

では、ラオスではどんな人がお坊さんになるのかというと、

圧倒的に多いのが「両親が貧しくてお寺に来た子」だそうです。

また「両親が離婚して預けられた子」など、何らかの家庭の事情があって、半ば強制的にお寺に連れてこられそのままお坊さんとなることがほとんどらしいです。

 

考えてみれば、小学生や中学生のときから仏教熱狂的信者になり、坊さんに自らなりたいと思う方がおかしいですよね。

 

ぼくのいるお寺には現在47人のお坊さんがいます。(僧侶と見習僧を合わせて)

そしてその内3~4人だけがビエンチャン出身であとは県外のお寺から移ってきたお坊さんです。

 

なぜ彼らは、県外からビエンチャンに移ってくるのかというと『学校(大学)に行くためです』。

ラオスにはサンガ学校というお坊さんのための学校があります。

そのサンガ学校は基本的に学費は無料で、かつ、英語、数学などの一般教育も受けることが、卒業すると普通の学校と同じ学位(学歴)となり、卒業後の進路も制限されません。

2007年のデータでサンガ学校は大学2校、高等学校11校、中学校33校、小学校12校あるとされています(OPSSL:2008)。

 

しかし、やはり地方ではサンガ学校数がなく、勉強ができなってしまうため、多くの若いお坊さんビエンチャンに移ってくるのです。

 

 

また、ルアンパバーンは街全体が世界遺産となっており景観や伝統を壊さないために戒律が厳しくなっているとのことです。そのため、お寺によっては出家したまま、女性のいる共学の学校に進学するのを禁じているお寺もあるそうです。

しかし、ビエンチャンのお寺の多くは共学の学校(サンガ学校ではない学校)への進学も許されています。

 

そのため若い10代~20代前半のお坊さんがビエンチャンに来るわけです。

実際のうちのお寺もほとんどが中高校生から大学生ばかりです。

そのため、一緒に生活してみてわかったことですが、お寺は修行の場というよりは、学生寮という雰囲気があります。

 

 

ビエンチャンの多くのお寺はそのような場所となっている可能性が高い思われます。

 

そんなわけで、

修行する前日に書いた記事では、ラオスのお寺は貧しい子の受け皿的役割を果たしてると書きましたが、それは本当だったようです。

laomekong.hatenablog.com

 

しかし、

単純にお寺が貧しい人を助ける受け皿という認識は甘かったようです。

 

結論を言えば『ラオスの仏教は貧困層によって成り立っていると今の段階では思うようになりました。

 

どういうことかというと、

 

親が貧しくて学校に行けない

仕方なくお寺に行くしかない

仏教の教えを覚える

仏教を教えに共感する

お坊さんとして生きていく

 

という流れで、生涯お坊さんとして生きていく人が出てくるわけです。

 

もし貧困層がいないとその流れが崩れてしまい、お坊さんがいなくなってしまします。

そうなるとラオスの仏教は衰退していってしまうでしょう。

 

つまり、

「ラオスの仏教が貧困層を支えている」という一方通行ではなく、「貧困層がラオスの仏教を支えている」という側面もあるということです。

 

もちろん、それができるのはラオ人の仏教への信仰があるからこそですが。

 

貧困層も富裕(中間)層もお互いに依存しあって、支えあっているわけですね。

 

以上が、1週間経ってぼくが見聞きして、見えてきたラオスの仏教の現状と考察です。

 

 

では、また。