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ラオスの仏教僧の備忘録(出家12日目:仏教僧的に母の「会うのが怖くなった」を解説します。)

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サバイディーສະບາຍດີ

どうも、ラオスの仏教僧ジーコです。

 

前回の『母親に出家がバレた結果⇒「会うのが怖くなった」と言われてしもた』から

laomekong.hatenablog.com

 

ぼくも一応、仏教僧ということで、、、

今回は、 

どうして母は「会うのが怖くなった」のかを、仏教的に解釈したいと思います。

 

 

ではでは、始めますね。

 

と、その前に、仏教の基礎的知識を勉強してからにしましょうか…。

 

 

みなさん、

そもそも『仏教』とは何でしょうか?

 

 

仏教を「お釈迦様を信じていれば、極楽浄土(天国)にいける宗教」と思っている人がよくいますが、それは間違った認識です。

 

本来、仏教は個々人が『苦』を完全に無くした状態(涅槃)を目指すことを目的とした宗教です。

 

苦しみを無くすには人はどのよう考え、行動すれば良いかということをブッダが教えてくれているわけです。

決して念仏を唱えれば極楽に行けるなんていう簡単なものではありません。

どちらかというと哲学にも近いです。

 

そんな仏教ですが、

仏教では『苦』には8つ種類があると言われています。

 

そうです。

皆さんもご存知の「四苦八苦する」という言葉は仏教からきた言葉です。

 

本来の「四苦八苦」の意味は、

人間の苦しみには誰もが避けることのできない「生苦(生まれる苦しみ)」「老苦(老いる苦しみ)」「病苦(病気にかかる苦しみ)」「死苦(死ぬ苦しみ)」の4つ。

それに加えさらに、

社会生活の4つの苦しみとして「愛別離苦(愛しい人と分かれる苦しみ)」「怨憎会苦(恨みに憎しみのある人とあわなければならない苦しみ)」「求不得苦(求めても手に入らない苦しみ)」「五蘊盛苦(心身が思い通りにならない苦しみ)」の8つの苦しみがあることです。

 

そして、それらの『苦』の原因が皆さんご存知『煩悩』です(このことを「集諦」という)。

 

「煩悩」の本当の意味は「汚すもの」つまり、心を汚すものを意味します。

 

その『煩悩』の根源が、3つあると言われています。

 

それが「貪欲(とんよく)」「瞋恚(しんに)」「愚癡(ぐち)」です。

 

貪欲とは、むさぼり執着すること(いわゆる欲望)

瞋恚とは、嫌悪すること、憎悪すること、拒絶反応を示すこと

愚癡とは、真実に暗いこと、無知であること

(ちなみにここでいう真実とは、「諸行無常:変わらない物はない」「諸法無我:全て存在に主体はない」「涅槃寂静:煩悩がない状態」の三法印などのブッダの教えのこと)

 

よく「貪・瞋・癡」と縮められて聞くことがありますね。

 

この3つの煩悩の根源のことを『三毒』と言います。

 

皆さん、『苦』の正体がわかりましたか? 

 

仏教の基礎知識は以上です。

 

やっと、母の「会うのが怖くなった」の解説に移れますね…。

ここまで分かれば、あとは一瞬で解説は終われます!

 

今回の母の「怖くなった」という感情は、いわば『苦』ですね。

 

母は一体に何に苦しんでいるのでしょうか?

 

上記の仏教の教えを参考にするとこのように考えられます↓

 

 

以上です。

こんなに簡単に説明がついてしまいます。

 

しかし、 同時に親が子を想う気持ちも分かります。

「自分の子どもが自分の知らない世界へと進んでいく」ことは親にとってとても心配なことかもしれません。

しかし、それこそ『諸法無我』であります。

 

仏教では自分の身体ですら自分のものではないと考えます。

いわんや、子どもの身体をやです。

 

自分の思い通りにできる人なんていません。

 

それだけでも心に留めておくと、途上国での活動だけでなく、普段の人間関係でも悩むことが少なくなりますよ。

 

母が良い勉強をさせてくれました。

感謝感謝。

 

両親がラオスに来たらラオスの文化を楽しんでもらえるように、私も努力します。

 

 

では、また。

ໂຊກດີ