メコンの流れのように

多様な価値観、1つの世界

ラオスの仏教僧の備忘録(托鉢修行の気づきまとめ)  

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サバイディーສະບາຍດີ

どうも、ラオスのジーコです。

 

還俗してから色々とバタバタとしてて、あっという間に2週間ほどが経ってしまいました。

まだ2週間しか経っていないのにもう何カ月も前のことだったように感じます。

ということで、はやく書かないと色々と忘れていってしまう~と危機感を持っています…。

ではでは、今回は出家中毎日行っていた「托鉢修行」の全14回を振り返ってみたいと思います。

 

托鉢に基本的なことはここを読んでください↓

laomekong.hatenablog.com

 

 

ぼくは毎日Twitterでその日に頂いた托鉢の中身と感想を書いていたので、これまでのハイライトご覧ください↓(前半は関係のないことも書いてますがご了承を…)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、最後の托鉢はワンシンのためなかった…。

 

以上。

Twitterでのハイライトでした。

 

こんな感じで、托鉢修行では毎日新しい気づきや発見があり、実はこの時間が出家中にぼくが一番好きな時間でもありました。

 

始めはただただ痛かった裸足での歩行でしたが、そこに意味を考えてみたり、歩き方を工夫してみたり、何も考えないように歩いてみたりと、ただ托鉢をしながら裸足で歩くという行為なのにとても面白かったです。

 

『歩行と痛み』に関しての気づきの大まかな流れとしてはこんな感じでした

⇩⇩⇩

 

足の裏が痛い

小石を踏まないように下を向いて気を付けて歩く

歩き方がぎこちないせいで脚が筋肉痛になる

これまでの歩き方ではダメだと思う

なるべく前を向いて歩くことを心掛ける

痛いのはしょうがないと割り切って歩くようになる(痛みは痛みとして認識して、痛みを苦しみだとは思わない。)

しかし、やはり痛いものは痛い

裸足で走って遊んでいる子どもを見る

何故子どもたちは痛みを感じずに裸足で走れるのだろうか?と思う。そして、自分も子どもの頃は裸足で走っていたことを思い出す。

子どもが注目しているいるのは、地面ではなく、走るという行動であり、その行動を楽しむことに全意識を置いている。

自分の歩き(身体の動かし方)に注目してみる

動き全体がぎこちないことに気づく

それは、無意識に痛みを怖がっていることから来ている

痛みを怖がらないためにはどうしたら良いかを考える

地面を大地を地球を自分の味方だと思う。(自分も地球の一部と考える)

すると、自然な歩き方ができるようになった。

しかし、知らないうちに小石を踏み右足に血豆ができる。

血豆が痛むなかでどうやって歩くかの最大の試練

これ以降は歩きを洗練する作業

痛みを意識せず完全に自由に歩けるようになる。

 

 

 この気づきを日常生活に絡めてみると、

日常生活にも毎日たくさんの小石(心の痛みをもたらす原因となる事)が転がっている。

だからといって、小石を避けて生活しようとすると自分らしくない生き方をしてしまい疲れが溜まる。更には小石を避け続ければ避け続けるほど小石が大きく見えるようになり小石の上を歩くのが怖くなる。そして、足の裏もか弱くなってしまう。

小石すらも自分の味方と見なして自分らしく生きる(自分の心や身体に正直に生きる)ことができれば、例え小石でケガをしたとしても、そのケガを学びとすることができ、更には、足の皮も厚くなり小石なんて痛くもなくなる。

 

自分の身体と心に注目して自分が一番自然体でいられる生き方をする。

 

 それがぼくが托鉢から得た気づき方の考えの1つ。

 

だから、これからも時折自分に聞きたいと思う。

「今、自分は痛みを怖がらずに自然な歩き方が出来ているか?」と。