メコンの流れのように

多様な価値観、1つの世界

出家が終わってからのエトセトラ

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サバイディー!

どうも、お久しぶりです。ラオスのジーコです。

 

はやいもので、還俗して(出家が終わって)から約1ヵ月半が過ぎました。

 

この間に、親がラオスにやってきたり、仕事でルアンパバーンに出張にいったり、インフルエンザにかかったりと、バタバタと日々が過ぎていってしまい、

本当に自分は自分は出家していたんだっけ?

と思ってしまいそうなくらい昔に感じています。

 

今、思い返すとお寺の中の生活はやはり気持ちが楽だった。

それこそ俗世とは違い、悩み事が少なかった。

 

 

上座部仏教が「自分だけの救いを目的と小乗仏教」だと揶揄される理由も分らんでもない。

 

それほどストレスフリーの生活だった。

 

 俗世には色々な人間の思惑があって、それぞれの思惑をwin-winな形にするために色々と考えを巡らせなければならない。

それが大変なことでもあり、面白いところでもある。

 

多くの人間が関われば関わるほど自分の思惑通りするのが難しくなり、心を穏やかに保つのは難しい。

それ故に俗世の方が修業になる。

 

お寺のような環境で心を穏やかにできるのは当然のことのように今は思う。

 

だから、今は思惑の荒波を上手くコントロールして、自分の船を前に進めていきたい。

 

 

 

最後に…

 

もし、出家の日々に戻れるとしたら戻りたいかと聞かれれば、

『戻りたい。』

 

しかし、

だからこそ『戻りたくない。』

 

もう知ってしまった「楽をするための道」は選びたくないから。

まだ知らない「楽しい道」を選んでいきたい。

 

 

(決して出家生活が楽だというわけではなく、「楽しい」よりも「楽」を優先させるのが個人的に好きじゃないだけね)

もし、もう一度出家をすることにわくわくを見いだせたのならもう一度やる可能性はある。